私がココをやりたいわけ

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2021年1月、
新たなビジョンを立てました!

発表します(*゚▽゚)ノ ジャーン!!


私は3年前、全く違うビジョンを立てました。
どちらかと言うと、
もっと広い範囲に寄り添う内容です。

今回、今のビジョンを決めるにあたり、
グッと範囲を狭めて、
ペットの最終段階での飼い主さんの不安な気持ちに対して焦点を当てたものにしました。

なぜ私がここを選んだのか。

そこには、母親の死がもたらした私のグリーフが大きく関係しています。
今回は、そんなことについて私自身も当時を振り返りながら、綴ってみました。

闘病中の私の気持ち

私は2017年10月に母を食道癌で亡くしました。

同年3月に癌が見つかり、
この時すでにステージ4。

入院初日に母親と一緒に、
主治医から『もう手術は出来ない』と宣告されました。

先生から淡々と状態を伝えられて、
いきなり目の前に降りかかった事実に対して、

この時はまだどうにかなるんじゃないかと、
私も母も少し楽観的に考えていました。

しかし、開始した抗がん剤も負担が大きく一回で取りやめ。
みるみる間に病状は進行し、転移で胃が圧迫され、
ご飯が食べられなくなるまでにはそんなにかかりませんでした。


母は、進行が早かったんです。

固形物の入っていないアイスを、
よく一緒に食べてました♪


病状が進むにつれて、事実を受け入れざるを得なくなってきました。

『この先どうなってしまうのだろう』
『母は今、何を思っているんだろう』

これから先どうなるかもわからない不安と、
母がいなくなってしまうかもしれないことを受け入れたくなかった私は、

そんな不安を自分の中で悶々と抱え、それを口に出すことも出来ずに、
毎日を必死で過ごしていました。

特に、母に対して、
死を連想するような言葉を口にすることは出来ませんでした。

だから、
『これからどんなことがしたい?』なんてことも

怖くて絶対に聞けなかった。


だって、一番辛いのは母親。

私たちの前では一切弱音を吐かず、毎日行っていた面会の後は、
点滴を押しながら笑顔で病院の出口まで見送ってくれました。

夜、シーンとした静かな病室で、
母は1人、どんなことを思っていたんだろう。

『何で自分が…』
『自分はどうなってしまうんだろう』


母もまた、口に出すことができず、
きっとその怖さに涙を流していたはず。


直接聞いていないので全て憶測でしかないけれど、
そんなことをグルグルと考え、涙を流しながら病院から家までの道のりを帰っていました。

母の日に、生花はいけないから、
フラワーソープをあげました🌸


その後母は退院し、
自宅療養に切り替わりました。

もう病院で出来ることはなかったことと、
母の強い希望で自宅に帰ることを決めたのです。

つまりは、このまま自宅で看取る準備です。

我が家で過ごした家族4人の時間は、
私にとって、とても幸せを感じる時間でもあったはずです。

ですが、
やはりこの時も、
私は不安と、
奇跡を願い少しでも長く一緒にいたい、
そして、
少しでも母の苦しみを減らしたい思いで、

藁にもすがる思いで、食事療法について調べながら、
色々なものを取り寄せました。

でも、母はそれを望んでいなくて、
実際にはほとんど試すことも出来ずにいました。

病気は、バラバラな場所に住んでいた私たち家族4人が
繋がる時間をくれました。


終盤に入り、それまで使っていた座薬での鎮痛が効かなくなってきて、
看護師さんにモルヒネを勧められました。

苦痛で動けなくなる母親を見ているのは辛かったので、
私は母にモルヒネを使うことを勧めました。


とにかく痛みから解放したかった一心で、
それを使うことがどういうことか…


今の母はどの段階に差し掛かっているかなんて、調べもせず…

考えることをあえてしなかったのかもしれません。


ようやくモルヒネを使い出すと、
母の痛みはかなり和らぎました。

『痛みが出たら押して』
先生にそう言われていたスイッチを、
そのうちに母は何度も押すようになりました。

今になって思います。

母はどんな気持ちで、家に帰りたいと思っていたのか。
残りの時間をどう過ごしたいと考えていたのか。
モルヒネを投与することを、どう思っていたのか。

選んだことがどうだったというのではなく、

母はあの時何を思って
生きていたんだろう…。

私は、
少しでも長く母といたい自分の気持ち主体で何が出来るかを考えていました。

結局ひとつも母の気持ちを聞けなかったことは、
悔やんでもどうしようもなく、
私の中に大きな後悔となって残りました。


それから間も無くして、
母は私と父が見守る中で息を引き取りました。

そこからは葬儀に向けてバタバタ。
なんせ、母の友人の連絡先をほとんど知らなかったので。
それでも何とか母の仲の良い友人の力を借りて迎えた、母のお葬式。

私の古くからの友達が2人で来てくれました。

私が人の前で涙を流すことが出来たのは、
その時が初めてでした。

母の手を握りながら…。

そこから続くグリーフの苦しみ

母が亡くなってから、
ますます私のグリーフ(喪失感)は大きくなりました。

母と待ち合わせをした場所。
一緒に自転車を走らせた道。
買い物をして、ご飯を食べたお店。

地元はそこらじゅうが、
母との思い出で溢れていました。



その道を通るたびに、
『○ヶ月前は…』なんて考え、

哀しみで涙を流す日々が続きました。


自宅も・・・
母と過ごした場所です。

我が家なのに、そこに安心を感じることが出来なくなり、
闘病中の母の唯一の楽しみだったテレビは、
つけることをしなくなりました。

すごく重い空気が我が家には流れていて、

いっそこの家を、この街から逃げ出して、
知らない街に引っ越したらどんなに楽だろう…


と思っていました。

私には、リラックスできる場所、
心から笑顔になれることが

ほとんどなくなりました。

これではいけないと、使わなくなった母の物を捨てようとしたこともありましたが、
でも、自分からはなかなか捨てられないんです。

遺品の整理=気持ちの整理!??
それって、今やるべき??



父が少し処分をしたり、奈良の家に持っていってくれましたが、
その後は大泣きしながら少しだけ使わなくなった化粧品を捨てた程度でした。


その頃受講したカウンセラーの講座も、
その苦しみから何とか解放されたかったことが、参加した一番の理由です。

とにかく、
今の状況を何とかしたくて、
必死にそこから逃れるかのように学んできました。

あの時は必死でしたが、
学んで来たから今があるんだ!って、
思います。

一冊の本が教えてくれた、私のやりたい事

母が亡くなって半年ほど経った頃でしょうか。
私は一冊の本を読みました。

玉置妙優さん著者の、
『死にゆく人に寄り添う』という本です。

玉置さんの大ファンになりました笑


同じく癌で旦那さんを亡くした玉置さんが、
その経験から出家して僧侶となり、

今では元々の仕事だった看護師の経験を生かして、
看護師僧侶として患者さんとそのご家族の心のケアを中心に
お仕事をされているというお話でした。

そこには、
第三者である玉置さんが患者さんに

これからの生き方を問い、

ご家族とその気持ちを共有しながら、
ご本人の意思を大切に残りの時間を過ごすサポートをされている

と書かれていました。

私はこの本を読んだときに、
『母の時にこんな方がいたら、
きっと母は自分の中に閉じ込めていた気持ちを外に出すことが出来ていただろう。』


『私たち家族も、母がどうしたいかを知れて、
母の気持ちを大切にこれからを一緒に考えることが出来ただろう。』

と、その存在の大切さを感じました。

そう思うと、
母も、私も、自分の気持ちを押さえて外に出せなかったことが、
どれだけ苦しみとなっていたか…。


そして、

『ペット業界にもこんな役割が必要』

と、この時初めて思ったことが、
今のやりたいことに繋がっています。

こんな役割の方がいることに衝撃を受け、
その必要性を感じた・・・
私の人生に大きく影響を与えてくれたような本でした。

だからといって私の中の苦しみが解放されたわけではなかったのですが、
そこから少しずつ、コーチングを学び、
自分の気持ちを受け止めて、口に出すことを繰り返す中で、

なぜ自分はこんなに苦しくなったのか』
『本当はこんなことを大切にしたかった


が、だんだん具体的になってきました。

そんな風に自分の素直な気持ちを口に出して、
深めていくうちに、

私の抱えているグリーフは、
ほんの少しずつ薄れていました。
(他のことに意識が向く時間が増えてきた)

亡くなって一年経ったときに、
ようやく『○ヶ月前は〜』と、考えることも少なくなってきました。

でも、完全に消えることはなく、
それは私の中でオモリのような重圧を持ち、
居続けていました。

ファウンデーションの講座を受けだしたばかりの時、
今の状態を聞かれ、『深く暗い深海でもがいている感じ』
と答えたのを今でも覚えています。

愛猫まゆげの看取りで叶った想い

それからしばらく経った去年の9月、
今度は愛猫のまゆげに癌が見つかりました。

この時のことは、【まゆげと私の記録】で詳細に綴っているので、
ここでは母の時のと違いについて触れたいと思います。

母の時とまゆげの時で違ったことは、

私が母の時にこう出来ていれば良かったを、形にしてきたことです。


コーチングで学んできた、
その時々の自分の気持ちを流さずに感じること
も大切にしてきました。

  • 患者自身の意思を尊重して、尊厳を保つこと
  • 私が今本当に大切にしたいことを選ぶこと
  • 死に向き合う覚悟を持つこと
  • 時にはプロフェッショナルに頼る
  • 体が出すサイン見逃さず気持ちをシフトしながら、最後まで心を共にすること



そうすると、

確実に死に向かっていると感じながらも、
不安や苦しみに支配されすぎずに、

むしろ、
今までにない幸せをたくさん感じ合うことが出来たんです!!

そして、
亡くなる時も、亡くなった後も、すごく穏やかな気持ちで見送り、

こんな時間を過ごせて良かったと
思うことが出来ました。

辛さも、一番の幸せも・・・
どちらも感じた3か月。


まゆげが亡くなって、

悲しみはありますが、
母の時の苦しみはほとんど感じません。


そして、母の時の大きな後悔をも、
まゆげは一緒に持っていってくれました。


その後です。

我が家を過ごしやすい空間に変えよう!
と思い始めたのは。


これは余談になりますが、
今まで、

母が買った物だから。
家族4人分の食器だから。

と、捨てられず執着する様に使い続けていた物。

『変えたい!!お気に入りのものに囲まれて、
心穏やかに過ごせる空間にしよう!』

自然とそう思えるようになったのは、
去年(2020年)の12月のことです。

それは、母が亡くなってから3年と2ヶ月が経ってからでした。


大掃除&断捨離と一緒に、

お花を飾ったり、
食器をお気に入りの物に変えたりしながら、

今の私は、
以前よりも快適におうちライフを過ごせています♡

お花のアレンジを楽しんだり♪
これはお正月用に生けたもの🎍
私ってセンスあるのでは!?と思っています(笑)



大切な存在なほど、
グリーフは大きくなります。

自責の念にかられることも、
それがずっとあとを引くことだって、、

きっとそれぞれの形で、
多くの人が体験をしていることじゃないかなと思います。

だけど、
私はこの経験から、

過去の出来事は変えられないけども、
例え亡くなって本人が居なくなってからでも、

それにどんな意味を持たせるのかは、
あとから変えることが出来ると知りました。


まず自分の気持ちに気付いて
それを他の形で大切に表現することが出来た時には、

驚くほどそれまでの重い苦しみが形を変えて、
自分にとって大切な経験未来の力となることを感じました。



だから、
焦らなくても大丈夫。


向き合うことはとても勇気もいるし、
辛いことを掘り起こすこともあるけども、

その先には、
自分自身で過去の意味を変えることだって出来ること

同じように苦しみを抱えている方に、
知ってもらいたいです。

だって、
そのオモリを持ち続けるって、
すごく辛いですから。

あなたは自分という紙飛行機を、
どんな未来に飛ばしたい?

やりたいこと=経験したからわかること

今自分がこう感じるようになって思うんです。

母を失ったあの苦しみはとても辛かったけども、
逃れたくて必死だったけども、

持ってていいんだ』って。


その苦しさを知っているから、
わかる気持ちがあります。

だから生まれた、
同じ思いをしている人の支えになりたい

という私の持つ想いは、
母とまゆげが私にくれた宝物です。

私のグリーフは、
私のミッションへと姿を変えて、

今やりたいことに繋がりました。

尊い命を大切に向き合いたい



ペットは大切な家族です。

口を聞けないから、
選ぶのは飼い主です。

人と違う形で選択をしていく必要があり、
短い寿命の彼らを見送る飼い主の、
そこに直面した時の苦しみは、

ペットロスという社会問題をも引き起こします。



私が目指したいのは、

そんな苦しみに支配されることなく、
飼い主が自分の本当の気持ちで目の前ことを選択しながら、
残された時間をペットと幸せを分かち合いながら過ごす為の、


最終段階の専門サポートチームを
作ること!


そのための一歩として、

2021年は、
まずは飼い主さんが終末期を考える一歩となる場を作り、

私自身も整えながら、
目標を目指していきたいと思います☺


最後まで読んでくださり、ありがとうございました♡

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